玄妙庵の由来

明徳四年五月十八日太政大臣簾苑院殿義満将軍文珠御参詣の砌り 丹後守護一色満範此に亭舎を設らえて将軍を迎ふ。

将軍登臨して感賞措かず亭に玄妙の二字を賜ふと。

蓋しこの地典雅高潔 脚下に宇内の絶勝天橋立を俯瞰し、遠く水天一碧の汪洋を眸裡に収めて宇宙の玄妙を体得せるより迸発したる語辞なること 田辺旧記に明記する所なり。翌々応永二年九月十九日将軍勝定院殿義勝の文殊御参詣を再び此に迎へ、越えて同九年五月十八日将軍及び 北御所(前将軍義満)の文殊御参詣を夫妻両親と共に三たび迎えて感賞に預かりし亭舎なるも後ち浮屠禅行の修場に充てしことありて玄妙庵と云う。

成相寺古図此所に四阿の亭舎を描き「古堂、座禅所なり」の註記を添え智恩寺古図また亭舎を描くも其れには何んら註記を為さず。俚人堂また亭を呼ばず、庵を通名として「玄妙庵」と称し康正在銘の宝筐印塔、明応在銘の菩薩像など足利盛期の遺物を今に伝えて名残を止どむ。

丙子陽春・永濱宇平誌

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